プーシキン美術館展
横浜美術館でプーシキン美術館展の開催期間、アルテリーベでは、プーシキン美術館展のフランス絵画をもとにした特別コースをご用意しております。おかげさまで大変好評をいただいております。
夏の食材をつかった絵画のような一皿一皿を五感で味わってみてください!
詳細はこちらをご覧ください!http://www.alteliebe.co.jp/pdf/pushkin.pdf
気軽に楽しめる方向へ…
2013,07,19 | お料理, ミュージックレストランとは?
盛夏の候、ぐっと夏めいた日々が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
今夏は、アルテリーベの雰囲気をより気軽に楽しんでいただくために、単品料理を増やし、ソーセージもご要望にお応えし、単品売りも復活しました。アルテリーベでは、本場ドイツでソーセージを学んだ職人が作ったソーセージとビールを楽しむことができます。
絶品のヴァイスヴルストをはじめ、フランクフルター、チューリンゲン地方のブラートヴルスト、そしてイタリアから直輸入したサルシッチャ。どれも本場ならではの味わい深いソーセージです。自家製の塩漬けアイスバインとともにご堪能ください。
夏季限定でヨーロッパ各国のビールも多数ご用意しました。
平日の仕事帰りにお気軽にビールとソーセージを召し上がれ!
水上飛行艇の名残りを訪ねて…
2013,07,16 | Introduction, エトセトラ…
ミラノで開催されるウェディングドレスのフェアでドレスを買い付けのあと、最終日にミラノから家族と合流してマッジョーレ湖に行ってきたときのお話です。
ところで宮崎駿の映画の「紅の豚」皆様ご覧になったことはありますか?私の好きな映画の一つです。何がいいかというと、フランス語の吹替えで主人公にジャンレノを起用しているなどもいいのですが、何よりもあの紅の飛行艇が史実をかなり忠実に再現したものだからです。マッジョーレには、水上飛行艇は飛んでいませんが、今も水上飛行艇の痕跡は残されているのです。
映画の中では、女性を賭けて飛行艇で決闘するというのがクライマックスシーンなのですが、史実では1920年代から30年にかけて、シュナイダートロフィーという英米仏伊の4か国国別対抗の水上飛行艇のスピードレースが行われています。当時オリンピックゲームもなかった時代での国別対抗戦は、国旗発揚にもなり相当熱狂の渦に包まれたようです。まさに空と海のF1です。
水上飛行艇は、当時は次世代の移動手段とも考えられていました。最も早く移動できる手段だったことに加えて滑走路もいらずに気軽に湖、海に着水できる利点は、まさに理想の移動手段で、そしてレースに出場するパイロットたちは、英雄であこがれの的であったのです。
紅の豚では、設定がアドリア海になっているのですが、ジーナのレストラン付邸宅は、マッジョーレ湖の島だったのではないかと私は勝手に思っています。マッジョーレには観光船が行きかう島が3島あり、イゾラベッラやイゾラペスカトーレ、イゾラスペリオーレがあり、ベッラやスペリオーレは、ジーナのレストランのある島の邸宅に非常に趣が似ています。
そして、マッジョーレのストレーザという街には、なんと今も現存する”水上飛行艇のリストランテ”が存在するのです。ここは、ロープウェーの発着場に併設したリストランテというよりカフェみたいな場所で、ロープウェーで登れば、湖を山の上から見晴らすにも最適な場所です。今から7,80年前は、水上飛行艇がよく着水してパイロットたちが休息に来ていたそうです。そして、ポルコロッソも?ここに来ていたかもしれませんね…
水上飛行艇の話がなくても楽しい避暑地ですが、こんな空想に耽りながら愉しむのもまたおつなものです。
音楽家のルーツ
2013,05,10 | Introduction, ミュージックレストランとは?, 音楽のこと
今回はアルテリーベの音楽家のルーツについてお伝えしたいと思います。
父の時代のアルテリーベにも日本人の歌い手やルーマニアの音楽家がいましたが、今現在は、大きく分けて二つのルーツがあります。
音楽家は、現在ルーマニアとハンガリーの二つの国から招聘しています。期間は音楽家にもよりますが、ヴィザの関係上3カ月から6カ月日本に滞在し、新たなバンドがやってきます。
ルーマニアの音楽家はかつて、私がアメリカのボストンに留学した頃、ピアノを選択授業でとった時の先生がルーマニア人のホリア ミハイルで、彼から紹介していただいています。
先生と言っても、私より一つ年上なだけで、1990年代にアメリカに奨学金できていましたが、能力を認められそのまま教授になった方です。もう17年前にもなりますが、当時のルーマニアは、チャウシェスク共産党時代がようやく終わって、車はダチアというルーマニアの国産車一モデルとトラバンという東独製の外装がパルプでできている車、それにロバが走っているくらいの貧しい国でした。そんな中アメリカに行くことのできる奨学生といったら、本当に能力の高い選ばれた人で、彼が弾くと音程の悪いアップライトのピアノでも完璧に聞こえ、当時、身震いを覚えたものです。結局彼は、ルーマニアに戻ることを決めて、ピアニストとしてヨーロッパ各地で演奏を行っています。ルーマニアでもみるみるうちに有名になり、現在はルーマニアのラジオオーケストラ(ルーマニアのNHK交響楽団みたいなもの)のソロイスト、GMにまでなってしまいました。ルーマニアの今の音楽家のルーツは彼にあります。
もう一つのルーツはハンガリーになりますが、16年前夏のNYのホテル経営専門の大学院のサマーセッションで、ハンガリーのブダペストヒルトンのFood & Beverage Manager イヴァン ラヨシュとルームメートになりました。その頃まだお店をオープンしていなかったのですが、近いうちに横浜でレストランをオープンしていつかハンガリーの音楽家を紹介してもらう日が来るかもしれないと言ったら、彼が快く引き受けてくれました。ハンガリーの音楽家はもとはイヴァン ラヨシュを通じて紹介してもらっています。
ハンガリーもルーマニアも人脈をアメリカで築いたあたりが奇遇です。
その後イヴァンは、ブダペストヒルトンのGMになり、後にロシアのサンぺテルスブルグに移り、現在は、インターコンチネンタルホテルのGMとして働いています。
12年前に私がブダペストに彼を訪ねたとき、ブダペストヒルトンのハンガリー人スタッフの中に「あなたがMr日比生の息子ですか?」と声をかけてきた方がいらっしゃいました。彼は、そのさらに10数年前に日本に来て、父が経営していた「ブダペスト」というハンガリーレストランで実際に働いていたそうです。残念ながらそのお店はもうすでに閉店してしまったのですが、彼はアルテリーベでも暫く働いていたそうです。
私を見て、その思い出に駆られて、涙ぐんで「お父さんに本当にお世話になりました。」と異国の地で言われびっくりしたのを覚えています。アルテリーベの歴史は長いなあと実感した瞬間でした。
アルテリーベは、本当にいろいろな人のいろいろな思い出が詰まったレストランです。
何せ今年で創業48年ですから、いろいろなドラマはありますよね!
これからもさらに色々な人のアルテリーベ=良き思い出になって行きたいなと思っています。
東横線が伸びて…
2013,04,29 | エトセトラ…
東横線と副都心線の相互運転開始ししてはや1ヶ月。
都内の交通網がますます便利になる中、横浜までいらっしゃる方も増えていると実感しているこの頃です。
思えば、約10年前、みなとみらい線が遅ればせながら東横線との直通運転を開始してから、リニューアルしたばかりのアルテリーベにもお客さまが流れるようになったのがついこの間のような気がします。
それ以前は、終電に間に合うためによく桜木町まで走って行ってました。あの頃は都心まで遠かったなあと。
私は仕事帰りに寝過ごすととんでもないところまで行ってしまいそうですが、都心からのアクセスもさらに便利になったアルテリーベにぜひ足をお運びくださいね!