音楽家の紹介

2014,05,26 | ミュージックレストランとは?, 音楽のこと

_DSC9273sOur current musicians: Violinist: Gabriel Stanescu, Pianist: Viorel Gheorghe, Cellist: Walter Roberts
今回はうちの音楽家の紹介です。ゴールデンウィーク明けに来日しました。ルーマニア出身のヴァイオリニスト、ガブリエルとピアニスト、ヴィオレル。そしてスポットで、チェリストのアメリカ人のウォルターが演奏します! ガブリエルは初来日ですが、非常に安定していてレパートリーも広く、何でも弾きこなします。ヴィオレルは、ソロでもクラッシックからジャズまで弾きこなす名手です。そして、ウォルター、実は、テルマロマエⅠ,Ⅱやのだめカンタービレ、NHKなどにも出演している俳優です。副業でチェロをしているそうで、、、アルテリーベには役者が揃っています!他にも隠れキャラがいるので

気軽に楽しめる方向へ…

2013,07,19 | お料理, ミュージックレストランとは?

盛夏の候、ぐっと夏めいた日々が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

_DSC9829ss今夏は、アルテリーベの雰囲気をより気軽に楽しんでいただくために、単品料理を増やし、ソーセージもご要望にお応えし、単品売りも復活しました。アルテリーベでは、本場ドイツでソーセージを学んだ職人が作ったソーセージとビールを楽しむことができます。

絶品のヴァイスヴルストをはじめ、フランクフルター、チューリンゲン地方のブラートヴルスト、そしてイタリアから直輸入したサルシッチャ。どれも本場ならではの味わい深いソーセージです。自家製の塩漬けアイスバインとともにご堪能ください。

夏季限定でヨーロッパ各国のビールも多数ご用意しました。
平日の仕事帰りにお気軽にビールとソーセージを召し上がれ!

音楽家のルーツ

2013,05,10 | Introduction, ミュージックレストランとは?, 音楽のこと

今回はアルテリーベの音楽家のルーツについてお伝えしたいと思います。

父の時代のアルテリーベにも日本人の歌い手やルーマニアの音楽家がいましたが、今現在は、大きく分けて二つのルーツがあります。
音楽家は、現在ルーマニアとハンガリーの二つの国から招聘しています。期間は音楽家にもよりますが、ヴィザの関係上3カ月から6カ月日本に滞在し、新たなバンドがやってきます。

ルーマニアの音楽家はかつて、私がアメリカのボストンに留学した頃、ピアノを選択授業でとった時の先生がルーマニア人のホリア ミハイルで、彼から紹介していただいています。

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先生と言っても、私より一つ年上なだけで、1990年代にアメリカに奨学金できていましたが、能力を認められそのまま教授になった方です。もう17年前にもなりますが、当時のルーマニアは、チャウシェスク共産党時代がようやく終わって、車はダチアというルーマニアの国産車一モデルとトラバンという東独製の外装がパルプでできている車、それにロバが走っているくらいの貧しい国でした。そんな中アメリカに行くことのできる奨学生といったら、本当に能力の高い選ばれた人で、彼が弾くと音程の悪いアップライトのピアノでも完璧に聞こえ、当時、身震いを覚えたものです。結局彼は、ルーマニアに戻ることを決めて、ピアニストとしてヨーロッパ各地で演奏を行っています。ルーマニアでもみるみるうちに有名になり、現在はルーマニアのラジオオーケストラ(ルーマニアのNHK交響楽団みたいなもの)のソロイスト、GMにまでなってしまいました。ルーマニアの今の音楽家のルーツは彼にあります。

もう一つのルーツはハンガリーになりますが、16年前夏のNYのホテル経営専門の大学院のサマーセッションで、ハンガリーのブダペストヒルトンのFood & Beverage Manager イヴァン ラヨシュとルームメートになりました。その頃まだお店をオープンしていなかったのですが、近いうちに横浜でレストランをオープンしていつかハンガリーの音楽家を紹介してもらう日が来るかもしれないと言ったら、彼が快く引き受けてくれました。ハンガリーの音楽家はもとはイヴァン ラヨシュを通じて紹介してもらっています。
ハンガリーもルーマニアも人脈をアメリカで築いたあたりが奇遇です。
その後イヴァンは、ブダペストヒルトンのGMになり、後にロシアのサンぺテルスブルグに移り、現在は、インターコンチネンタルホテルのGMとして働いています。
12年前に私がブダペストに彼を訪ねたとき、ブダペストヒルトンのハンガリー人スタッフの中に「あなたがMr日比生の息子ですか?」と声をかけてきた方がいらっしゃいました。彼は、そのさらに10数年前に日本に来て、父が経営していた「ブダペスト」というハンガリーレストランで実際に働いていたそうです。残念ながらそのお店はもうすでに閉店してしまったのですが、彼はアルテリーベでも暫く働いていたそうです。

私を見て、その思い出に駆られて、涙ぐんで「お父さんに本当にお世話になりました。」と異国の地で言われびっくりしたのを覚えています。アルテリーベの歴史は長いなあと実感した瞬間でした。

アルテリーベは、本当にいろいろな人のいろいろな思い出が詰まったレストランです。
何せ今年で創業48年ですから、いろいろなドラマはありますよね!
これからもさらに色々な人のアルテリーベ=良き思い出になって行きたいなと思っています。

ヨーロッパへ行くということ

2010,03,03 | Introduction, エトセトラ…, ミュージックレストランとは?

私は年に何度も渡欧しています。常日頃、ヨーロッパに行くということにロマンがあったということを忘れないでおきたいといつも思っています。ロマンとは、目的意識とそれに付随する風情のことを指します。

例えば、100年前のニッカウィスキーの竹鶴さんは馬車、汽車、船を乗り継いで遥々渡欧したわけです。
何年という月日をかけた旅は、大きな苦難があったことも想像されます。
そして、スコットランド人の嫁をはるばる北海道に連れて来るなんて我々の想像を超越した行動です。

では、40数年前、母が初めて渡欧した時代はと言うと、ボーイングのジャンボジェットが初めて就航して間もない頃で、だいぶ行きやすくなってはいますが、当時は冷戦の最中。
ロシアの上空を飛べないのでアラスカのアンカレッジ経由で16~7時間はかかっていました。
日本人の海外旅行客が少しずつ増え始めた頃で、当時、ルノートルやコルドンブルーなどフランス料理学校にはまだ日本人も少なかった時代です。

そこには憧れというか、ロマンがあったのです。

今は旅行も誰でも簡単にできるようになりました。でも、外国旅行といっても美術館巡りや観光だけでなく何か現地に触れて見つけてこれるといいですよね。

私がヨーロッパに行く理由は家族のこともありますし、子供の頃向こうで育った頃のノスタルジーもあります。それとともに、アルテリーベの音楽家、ドレスの買い付け、現地のレストランの食べ歩き、そしてシェフとの交流などを通して、ヨーロッパをそのまま横浜にそのまま持ってくることが最も大きな理由です。

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リモージュからリヨン行きのプロペラ機

アルテリーベにご来店のお客様にそのロマンを少しでも感じていただけたらと思っています。
今度お越しいただいた時は、是非味わってみてください。

日比生

アルテリーベへようこそ

2009,08,02 | Introduction, ミュージックレストランとは?

ミュージックレストランは特別なレストランです。

特別な空間の中でお料理、サービスを提供するといったレストランの中で、更に生演奏を近くで聞くという非日常的な要素が組み込まれます。ですので、お料理とサービスを良くすることと同時に演奏にも気を配っております。生演奏は、ある時はBGMのように流したり、時にはショーのようにしっかり聞かせたり、緩急をつけてお料理を上手にひきたてるようにも考えています。

ミュージックレストランは、お料理、サービス、音楽といったそれぞれの要素がバランスよく組み合わさり、相互にその価値を高めるような特別な空間であり、きっと楽しい時間を過ごせることでしょう。アルテリーベの歴史、料理と音楽が横浜の文化の発信元となり、また、お客様を幸せな気分にすることができたら本望です。00093

日比生