Philippe Gauvreau フィリップゴヴロー

2010,05,15 | お料理, エトセトラ…, 新しいイベント

6月4,5,6日にアルテリーベで行うリヨンのシェフフィリップゴヴローさんと詳細が決まりましたのでお知らせいたします。Photo_041

横浜の姉妹都市であるリヨン郊外の5つ星ホテル「パヴィリヨンドゥ ラ ロトンド」にある ミシュラン2つ星レストラン「フィリップ ゴヴロー」よりシェフのフィリップ ゴヴロー氏を招き、ガストロノミックフェアを開催いたします。ディナータイムは、生演奏を披露するスタイルはそのままに心地よい音楽に包まれて、リヨンのシェフが横浜に美食をお届けするまたとない機会です。ご予約お待ちしております。

日時:6月4(金)、5(土)、6(日)

料金:ランチ特別コース 8,400円 、ディナー特別コース 16,800円 (サービス料別)、ミュージックチャージ 1,000円
ランチメニュー詳細  ディナーメニュー詳細

テラス席

2010,04,09 | エトセトラ…, 新しいイベント

今週からオープンカフェを始めました。

銀杏も少しずつ芽吹き始め、かわいい葉が出始めました。

春ですね。

天気の良い時の横浜の街角のオープンテラスは、すごく気持ちいですよ。

オープンテラス

オープンカフェ

こちらは、去年のウェディングドレスのモデルです

是非お立ち寄りください!

岡倉 天心

2010,03,30 | エトセトラ…

岡倉天心は、1862年に横浜で生まれ、英語を習得し、フェノロサとともに欧米を視察し、東京芸大を創設した人です。英語がすこぶる堪能で、当時海外に日本の思想、文化、美的感覚を諸外国に伝えようと尽力した方で私の尊敬する人の一人です。彼は、1905年にはボストンの美術館東洋部長に就任し、1906年に日本の茶を海外に伝えるため、The Book of Tea を英語で書きました。当時の環境で語学をマスターし、本を書いて海外に日本の思想を伝えることができるというのは相当の才能ですよね。

アルテリーベのある旧横浜商工奨励館は1929年に建てられたので時代が重なりませんが、アルテリーベの事務所とドレスルームのある三井物産ビルは、1911年に建てられたので、もしかしたら、彼も日本大通りを歩いてこの日本初の鉄筋コンクリートビルを眺めていたかもしれません。もしくは、建物内に入って見ていらしたかもしれないと思うと少しわくわくします。私達は、偉人と時間の共有はできないのですが、この場にいると時節を超えて空間を共有している気がします。日本大通りは、当時から英国領事館、ロシア領事館等が集まる横浜を代表する通りだったので、英語の得意な彼はこの日本大通りをよく歩いていたとみて間違いありません。

と思っていたら、なんと一つ通りを隔てた開港記念会館に岡倉天心生誕の地の石碑を発見しました。こんなに近くに彼の石碑があるとは思ってもみませんでした。 

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色々調べてみると、当時この地にあった生糸商「石川屋」に生まれて幼少を横浜で送ったとか。私の中ではこれで日本大通りを歩いたことが確信に変わりました。そしてやはり、今いるこの三井物産ビルにもおそらく足を運んでいたでしょうね。

ショッピングサイト リニューアル!

2010,03,25 | エトセトラ…

インターフェイスを今までよりいっそう見やすく、使いやすくしました。
商品も更に充実してインターネットでお買い求めいただけるようになりました。

これからエコバッグやアルテリーベギフトカードなどお菓子以外の商品も充実していく予定です。(4月中旬予定)
アルテリーベのショッピングサイト、是非チェックしてみてください!

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ヨーロッパへ行くということ

2010,03,03 | Introduction, エトセトラ…, ミュージックレストランとは?

私は年に何度も渡欧しています。常日頃、ヨーロッパに行くということにロマンがあったということを忘れないでおきたいといつも思っています。ロマンとは、目的意識とそれに付随する風情のことを指します。

例えば、100年前のニッカウィスキーの竹鶴さんは馬車、汽車、船を乗り継いで遥々渡欧したわけです。
何年という月日をかけた旅は、大きな苦難があったことも想像されます。
そして、スコットランド人の嫁をはるばる北海道に連れて来るなんて我々の想像を超越した行動です。

では、40数年前、母が初めて渡欧した時代はと言うと、ボーイングのジャンボジェットが初めて就航して間もない頃で、だいぶ行きやすくなってはいますが、当時は冷戦の最中。
ロシアの上空を飛べないのでアラスカのアンカレッジ経由で16~7時間はかかっていました。
日本人の海外旅行客が少しずつ増え始めた頃で、当時、ルノートルやコルドンブルーなどフランス料理学校にはまだ日本人も少なかった時代です。

そこには憧れというか、ロマンがあったのです。

今は旅行も誰でも簡単にできるようになりました。でも、外国旅行といっても美術館巡りや観光だけでなく何か現地に触れて見つけてこれるといいですよね。

私がヨーロッパに行く理由は家族のこともありますし、子供の頃向こうで育った頃のノスタルジーもあります。それとともに、アルテリーベの音楽家、ドレスの買い付け、現地のレストランの食べ歩き、そしてシェフとの交流などを通して、ヨーロッパをそのまま横浜にそのまま持ってくることが最も大きな理由です。

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リモージュからリヨン行きのプロペラ機

アルテリーベにご来店のお客様にそのロマンを少しでも感じていただけたらと思っています。
今度お越しいただいた時は、是非味わってみてください。

日比生