音楽家のルーツ

2013,05,10 | Introduction, ミュージックレストランとは?, 音楽のこと

今回はアルテリーベの音楽家のルーツについてお伝えしたいと思います。

父の時代のアルテリーベにも日本人の歌い手やルーマニアの音楽家がいましたが、今現在は、大きく分けて二つのルーツがあります。
音楽家は、現在ルーマニアとハンガリーの二つの国から招聘しています。期間は音楽家にもよりますが、ヴィザの関係上3カ月から6カ月日本に滞在し、新たなバンドがやってきます。

ルーマニアの音楽家はかつて、私がアメリカのボストンに留学した頃、ピアノを選択授業でとった時の先生がルーマニア人のホリア ミハイルで、彼から紹介していただいています。

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先生と言っても、私より一つ年上なだけで、1990年代にアメリカに奨学金できていましたが、能力を認められそのまま教授になった方です。もう17年前にもなりますが、当時のルーマニアは、チャウシェスク共産党時代がようやく終わって、車はダチアというルーマニアの国産車一モデルとトラバンという東独製の外装がパルプでできている車、それにロバが走っているくらいの貧しい国でした。そんな中アメリカに行くことのできる奨学生といったら、本当に能力の高い選ばれた人で、彼が弾くと音程の悪いアップライトのピアノでも完璧に聞こえ、当時、身震いを覚えたものです。結局彼は、ルーマニアに戻ることを決めて、ピアニストとしてヨーロッパ各地で演奏を行っています。ルーマニアでもみるみるうちに有名になり、現在はルーマニアのラジオオーケストラ(ルーマニアのNHK交響楽団みたいなもの)のソロイスト、GMにまでなってしまいました。ルーマニアの今の音楽家のルーツは彼にあります。

もう一つのルーツはハンガリーになりますが、16年前夏のNYのホテル経営専門の大学院のサマーセッションで、ハンガリーのブダペストヒルトンのFood & Beverage Manager イヴァン ラヨシュとルームメートになりました。その頃まだお店をオープンしていなかったのですが、近いうちに横浜でレストランをオープンしていつかハンガリーの音楽家を紹介してもらう日が来るかもしれないと言ったら、彼が快く引き受けてくれました。ハンガリーの音楽家はもとはイヴァン ラヨシュを通じて紹介してもらっています。
ハンガリーもルーマニアも人脈をアメリカで築いたあたりが奇遇です。
その後イヴァンは、ブダペストヒルトンのGMになり、後にロシアのサンぺテルスブルグに移り、現在は、インターコンチネンタルホテルのGMとして働いています。
12年前に私がブダペストに彼を訪ねたとき、ブダペストヒルトンのハンガリー人スタッフの中に「あなたがMr日比生の息子ですか?」と声をかけてきた方がいらっしゃいました。彼は、そのさらに10数年前に日本に来て、父が経営していた「ブダペスト」というハンガリーレストランで実際に働いていたそうです。残念ながらそのお店はもうすでに閉店してしまったのですが、彼はアルテリーベでも暫く働いていたそうです。

私を見て、その思い出に駆られて、涙ぐんで「お父さんに本当にお世話になりました。」と異国の地で言われびっくりしたのを覚えています。アルテリーベの歴史は長いなあと実感した瞬間でした。

アルテリーベは、本当にいろいろな人のいろいろな思い出が詰まったレストランです。
何せ今年で創業48年ですから、いろいろなドラマはありますよね!
これからもさらに色々な人のアルテリーベ=良き思い出になって行きたいなと思っています。