岡倉 天心
2010,03,30 | エトセトラ…
岡倉天心は、1862年に横浜で生まれ、英語を習得し、フェノロサとともに欧米を視察し、東京芸大を創設した人です。英語がすこぶる堪能で、当時海外に日本の思想、文化、美的感覚を諸外国に伝えようと尽力した方で私の尊敬する人の一人です。彼は、1905年にはボストンの美術館東洋部長に就任し、1906年に日本の茶を海外に伝えるため、The Book of Tea を英語で書きました。当時の環境で語学をマスターし、本を書いて海外に日本の思想を伝えることができるというのは相当の才能ですよね。
アルテリーベのある旧横浜商工奨励館は1929年に建てられたので時代が重なりませんが、アルテリーベの事務所とドレスルームのある三井物産ビルは、1911年に建てられたので、もしかしたら、彼も日本大通りを歩いてこの日本初の鉄筋コンクリートビルを眺めていたかもしれません。もしくは、建物内に入って見ていらしたかもしれないと思うと少しわくわくします。私達は、偉人と時間の共有はできないのですが、この場にいると時節を超えて空間を共有している気がします。日本大通りは、当時から英国領事館、ロシア領事館等が集まる横浜を代表する通りだったので、英語の得意な彼はこの日本大通りをよく歩いていたとみて間違いありません。
と思っていたら、なんと一つ通りを隔てた開港記念会館に岡倉天心生誕の地の石碑を発見しました。こんなに近くに彼の石碑があるとは思ってもみませんでした。
色々調べてみると、当時この地にあった生糸商「石川屋」に生まれて幼少を横浜で送ったとか。私の中ではこれで日本大通りを歩いたことが確信に変わりました。そしてやはり、今いるこの三井物産ビルにもおそらく足を運んでいたでしょうね。